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カネヒキリとは?砂のディープインパクトといわれた現役時代を振り返る! [競馬]



カネヒキリはダート界のスパースターとして、ヴァーミリアンとともに盛り上げました。
このカネヒキリなのですが、怪我により長期間レースから遠ざかります。
しかし、なんと2年以上の時を経て奇跡の復活劇を演じるのです。
ということで、今回はカネヒキリの血統と現役時代、産駒についてまとめてみました。

カネヒキリとは!その血統とは?


カネヒキリは2002年生まれ。

父フジキセキは4戦4勝、朝日杯3歳ステークス、弥生賞の勝ち馬。
1996年生まれの初年度産駒から2011年生まれの最終年産駒まで、16世代連続でJRA重賞の勝ち馬を送り出し、ノーザンテーストの記録の15世代を塗り替えました。
後継種牡馬にキンシャサノキセキ、ダノンシャンティ。

母ライフアウトゼアの全兄に種牡馬シルヴァーデピュティ。
近親にギルティストライク(東京ジャンプステークス)。

フジキセキ×ノーザンダンサー系×ミスプロ系の配合は、サダムパテック、ミラクルレジェンド、エイジアンウインズら、活躍馬多数の組み合わせです。


カネヒキリの現役時代は?


国内22戦12勝、ドバイ1戦0勝。
主な勝ち鞍、ジャパンカップダート2回、フェブラリーステークス、ユニコーンステークス、東京大賞典、川崎記念、ジャパンダートダービー、ダービーグランプリ、マーキュリーカップ。
2005年、2008年のJRA最優秀ダート馬。

3歳のユニコーンステークスで重賞初勝利をあげると、交流GⅠのジャパンダートダービー(大井ダート2000m)と、ダービーグランプリ(盛岡ダート2000m)を連勝します。

秋にはジャパンカップダート(東京ダート2100m)をレコードで制して、早々と3歳でダート界の頂点に躍り出ます。
同馬主で同じノーザンファームの同期生ディープインパクトになぞらえ、“砂のディープ”の異名も生まれました。
所属は角居厩舎、初期の主戦は武豊騎手でした。

4歳緒戦のフェブラリーステークスを3馬身差で完勝するとドバイへ飛び、2006年ドバイワールドカップに出走します。
カネヒキリはエレクトロキューショニストの4着に敗れました。

帝王賞でアジュディミツオーの2着に敗れた後、屈腱炎を発症。
復帰近しと思われたところで再発。
2年以上の長いブランクに入ります。
しかし、皮下脂肪の幹細胞を足の腱に移植する、最先端の再生医療手術を受けて完全復活。
6歳秋、2年4カ月ぶりに復帰するとジャパンカップダート(阪神ダート1800m)に優勝。
3年ぶり2度目の制覇でした。


2008/12/07 第9回 ジャパンカップダート(GⅠ)【カネヒキリ】


さらに東京大賞典でヴァーミリアンを下し、川崎記念はフリオーソを一蹴と、ルメール騎手騎乗でGⅠを3連勝。
幹細胞移植の最高の成功例として、競馬以外の分野でも脚光を浴びたのです。

7歳のフェブラリーステークスはサクセスブロッケン、カジノドライヴとレコード決着大接戦の3着。
柏記念後に骨折が判明し、再び1年以上休養します。
復帰後も帝王賞2着など力を示し、GⅠの勝利数は7つでした。



カネヒキリの代表的な産駒は?


アルタイル(ユニコーンステークス3着)
キングノヨアケ
ミツバ
テイエムグンカン
メイプルレインボー
マウントハレアカラ
ロンドンタウン



以上が、カネヒキリについてでした。
復帰後は、人気が薄い中での勝利は印象的でした。
まさに、奇跡の復活ですね。
今後の産駒の活躍が楽しみです。

このカネヒキリなのですが、残念なことに2016年5月27日に事故により逝去されたとのことです。
ご冥福をお祈りいたします。


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